馬と岩と伝説と~ジャイアンツコーズウェイツアーの謎を解く

9.ジャイアンツコーズウェイ

 2日目は、ジャイアンツコーズウェイです。ジャイアンツコーズウェイといえば、もちろん皆さんご存じ英愛チャンピオンズSをはじめG1を6勝し、北米でリーディングサイアーにもなった歴史的名馬。この馬の名前をとって……ではなく、この馬が名前をとった名所として知られるのが、北アイルランドのジャイアンツコーズウェイです。Wikipediaでは、馬は「ウェイ」、名所は「ウェー」と使い分けされておりますが、どういう理由で使い分けされているのか私には分かりかねます。

9.1 行程とツアーの謎

 ところで、Causewayという英単語、ここ以外で聞いたことがありますでしょうか。お馬鹿NPはありません。意味としては、土手道ということになるようです。となると、笠松競馬場の厩舎から競馬場の道も場合によってはCausewayと呼んでも良さそうで、となると今度からオグリコーズウェイとでも呼んでもよさそうです。その結果誰が喜ぶのか分かりませんが。
 で、これは、アイルランドの伝説の巨人フィン・マックールが、スコットランドの巨人ベナンドナーと戦いに行くためにコーズウェーを作ったとされるという伝説に由来するようです。各地には海を割るタイプの伝説も多いですが、こちらでは道を作ったわけですね。フィン・マックールのWikipediaはこちら
 アイルランド神話への興味も尽きませんが、現時点では深入りを避けておきます。なお、「尽きません」の「つき」を入れた時点でツキサムホマレが予測された私のATOKへの興味も尽きませんね。
 深入りはしないものの、ジャイアンツコーズウェイのWikipediaを見ていると、この話、フィン・マックールにとって特に名誉な話でもなんでもなく、寝ている間にフィンの妻ウナが頑張った結果スコットランドのベナンドナーがジャイアンツコーズウェイを蹴散らしつつ逃げたというストーリーになっていて、なんか御間抜けさんが2人と優秀な妻が1人という構成です。このウナさん、こんなに優秀かつジャイアンツコーズウェイという現代人には有名な場所に関与しているのに、さきほどのフィン・マックールのWikipediaにおける「フィンの妻」「その他の妻たち」には「ウナ」の名前が出てきません。どうなっているのでしょうか。

 閑話休題。
 この日に関する私の記憶は、Giant's causewayで友人と写真を撮ったりなんだりしたことだけ。
 なので、完全に、「Belfastから路線バスか何かでGiant's Causewayに行って、観光して帰ってきた」のだと思い込んでました。

2025年のMcComb'sのツアー
 そのため、残された写真を見て、完全にパニックに。最初に出てくる石造りの建物、てっきりGiant's Causewayに向かうためのビジターセンター的なものかと思ったら、解説には”Causeway/Carrickfergus Walled Town”とあり、検索したらベルファストから10~15キロほど北東にあります。肝心のGiant's Causewayからはまだ直線距離でも70キロほど。ビジターセンターとかいうレベルじゃない。
 しかし、私1人なら「北アイルランドの城でも見に行くか」という発想になっても不思議ではありませんが、今回は友人と一緒です。メジャーな城ならまだしも、友人を連れてマニアックな城を訪れるほどの影響力もありません。
 そして、ほかの写真を見ていったところ、McComb's Coach Travelという名刺を写真に残していました。これ、完全にGiant's CausewayのビジターセンターからGiant's Causewayまでを送迎するバス会社的なものだと思ってたんですが(おそらく記憶がストーンヘンジに上書きされている)、どうもそうではない。

 てなわけで、あらためてMcComb's Coach Travelで検索したところ……出てきました。こちらがMcComb'sのウェブサイト
 ここのトップに、”Giant's Causeway Tour”が出てきます。そして、その初っ端に、”Causeway/Carrickfergus Castle (photo stop)”が出てきます。ビンゴ。
 2025年時点のバスルートと、2016年当時のルートが同じかどうかは分かりませんが(写真の情報を見ていると、最初に出てきたバスの時間が9時21分で、今のツアー出発時間が8時30分なので、少なくとも1時間出発が早まっているだけの何かはある)、いずれにしてもこのツアーを使ったことはほぼ間違いないでしょう。というわけで、自分たちがとった行動がようやく分かりました。よかったよかった。

 ここまで分かれば、あとは写真を元に自分たちの行動を復習していく流れとなります。

9.2 Causeway/Carrickfergus城とRoundabout、そしてCoast Road

 気を取り直して、おはようございます。上述の通り、私が撮ったホテル前の写真は8時30分で、ツアー出発時間に近接していると思われる、バスの写真は9時21分です。まあ私にしては頑張って早起きした方ではないかと思います。

ホステル前で撮られた写真 グランドオペラハウス
MIKADOの広告が見えます
今回乗ったバス

 で、とりあえずバスで撮ったと思われる写真。

海岸線を走っていたようです
遠浅の砂浜が広がっております
バス車内

 というわけで、あらためて、まずはCauseway/Carrickfergus Castleから。Wikipediaは英語版はありますが、東洋人はこちらのお城に興味がないようで、日中韓いずれの言語版もありません。
 このCauseway/Carrickfergus城、字面だけを見たら、キャリスファーガスだと思うんだけれど、自分のメモ↓をみても「カリクファーガス」とあるので、カリクファーガスなのでしょう。発音は難しい。

城が見えてきました 城の遠景 ウィリアム3世像
少し荒々しい雰囲気です
Causeway/Carrickfergus Walled Townの解説
城を撮る 誰かいた 石塔がある側の方が絵になります
多分オレンジオーダー的な旗 多分アルスターバナー的な旗 バスから撮ったもの


 ここで、ようやく当時のメモを見ればいいのではないかと気付きました。その結果、これが出てきました。

- カリクファーガス
- ユニオニスト(UK派)vsナショナリスト(アイルランド派)。数年前ラウンドアバウトの真ん中に設置された。ノーザンアイルランドの街はユニオニストタウンとナショナリストタウンに分かれる。後者ではなかなかユニオンフラッグは見られない
- スコットランドまで13マイル。スコティッシュトラディションの影響を受ける。海岸道路はこのあたりの街とアイルランドを繋げるために作られた。白黒アーチのトンネルはダイナマイトでなく彫って作った
- 9のむら(valley)があり、近接して集合。カーンマークはナショナリスト
- かつては島にサーモンステーションを作ったが、取り尽くして放棄。ナショナルトラストが入って整備
 ↑に挙げた当時の私のメモの内、「数年前ラウンドアバウトの真ん中に設置された」という謎のメモに、目的語がありません。何が設置されたのでしょうか。
今Google Mapのストリートビューを見たところ、どうもラウンドアバウトの真ん中にユニオンジャックがあるようなので、数年前にユニオンジャックが設置されたのではないかと思います。
 英国内のことなのでストリートビューがかなり昔から入っていて、確かに2011年のストリートビューを見ると、ユニオンジャックではなく、アルスターバナーのようなものが映っています。

 で、あらためてストリートビューを見ていると、2008年、2021年もそれぞれ別のものがうつっていました。誰か「かリスブルックに掲げられた旗に関する覚書」みたいな論考を書いてないでしょうか。書いてたとして、タダで見せてくれることはないと思うけど。

 2021年の旗が若干興味深かったので、ちょっとChat GPTと遊んでみました。
 遠くから撮られた写真だとなぜかユニオンジャック扱いされましたが(色使いは確かに赤青白の3色だな)、アップにすると、ローカライズされたアルスターバナーであるとのことです。なお、アップになった画像をGoogleの画像検索にぶち込んだところ、AIさんはジブラルタルの旗だと言ってきました。

 となると、GoogleさんちのGemini君はどう返してくるのかもちょっと気になりますね。
 というわけでGemini君にも全く同じ質問をしたところ、Gemini君は最初の引いた写真からもUlster Bannerだと見抜きました。なかなかやるな。

 そして、あらためてWikipediaの”List of Flags Used in Northern Ireland”を見たところ、2008年の2つの旗のうち、ユニオンジャックの下に翻っているものはどうやらFlag of the Orange Orderだと推測されます。ここまで推測して貰うための質問を考えられなかった自分が悪いのを承知の上で逆ギレすると、AIはちゃんとここまで返してきやがれこんちくしょう。

 で、そうなると”Orange Orderとはなんぞや”が気になるわけですが……Orange OrderのWikipediaの日本語版がありません。これに至っては中国語版もあるのに。日本人、競馬以外に興味ありますか?
 検索した結果、これは「オレンジ結社」として日本で認知されており、そこから先は(北)アイルランドの歴史をしっかり勉強しないとダメそうです。とりあえず、この旅行記ではそこまでやりません。旅行から既に9年以上経過しているというのに、このままだと何年かかっても書き終わらない。

 いずれにしても、北アイルランドの各都市の立ち位置などは非常に興味深く、研究者は学者在野含めたくさんおられるのではないかと思います。できれば、政治的なしがらみから離れて分かりやすく解説してくれているものがあると助かりますが、あるのだろうか。

2008年 2011年 2016年 2021年 2021年のアップ 2023年
2021年のものが
ユニオンジャック扱いされた図
アップにしたらユニオンジャックではないと認めた ジブラルタル? Geminiは一発でアルスターバナーだと見抜いた

 では、バスに乗って次の経由地へ。

バスからの眺め。海沿いを走ったり、イギリスらしい草原風景だったり
国旗でなく王冠がroundaboutの真ん中に
Google Mapでは、Larne Roundabout Jubilee Crownと出てきました
海沿い

 ここで、あらためて私のメモに出てきたわけの分からない文言と、残された写真を見て、ようやく1つの謎が解けました。
- スコットランドまで13マイル。スコティッシュトラディションの影響を受ける。海岸道路はこのあたりの街とアイルランドを繋げるために作られた。白黒アーチのトンネルはダイナマイトでなく彫って作った
 この海岸道路は、この辺りの街、つまりラーンから北にある街からアイルランドに行けるようにした道ということですね。
 そして、「なぜ自分はいきなりバス車内を撮ったのだろう」と思ってた写真意味が分かりました。この「白黒アーチのトンネル」を撮りたかったのですな。
 このトンネル、Google Map上ではThe Black Archと表示されており、またBlackcave Tunnel And The Devil's Churnという名所としても登録されております。こちらは、ラーンの観光案内にも出てきます。謎が解けるというのは嬉しいことですな。自分がしっかりメモを取ってれば(あるいは記憶が新しいうちに旅行記を書いてれば)そもそも謎にならなかったのだが。

謎の写真2枚。撮りたかったのはトンネルでした

 1つ謎が解けて喜んでいたのですが、続いての私の謎のメモ、
- 9のむら(valley)があり、近接して集合。カーンマークはナショナリスト
というのを読み解くことは私には不可能です。検索したところ、”Nine Glens of Antrim”というものが引っかかりました。

 ただ、ナショナリストがどうしたこうしたとか、「カーンマーク」という謎地名とかにも繋がりません。これはどう考えても、私がガイドさんの話す英語のうち聞き取れた部分だけを短時間で打ち込んだからこうなっているとしか思えず、こういうメモが残っていることだけを旅行記に残しておく以外にこのメモを成仏させる方法はなさそうです。こういう一般人がとりあえず書いたものをいちいち解読しておられる歴史学者の皆様には頭が下がります。

 無理矢理予想することにどのような意味があるかは分かりませんが、ただ無駄な予想が大好きなのが競馬ファン。というわけで、予想するに、この海岸沿いの道路から見える谷、これがどうも9つあるのではないかと思います。1枚、逆側(海側でなく山側)を撮った写真が残されているのは、おそらく谷を撮ろうとしたのだと思います。

 ↓の写真でくぐった岩がどこなのか検索していたときにたまたま見かけたのがA2 RoadのWikipedia。この辺りのことがいろいろと説明されておりました。暇があったら真面目に読んでみよう。

1枚だけ、谷を撮った写真が残っていた
またも岩をくぐった
Waterfootにある、
Sandstone ArchあるいはThe Red Archと
呼ばれてる奴じゃないかと思う
海岸 丘陵地帯

 そして、休憩をと言ったことだけが分かる写真。これがNine Glens of Antrimとどういう関係があるのかは私には分かりません。
 タイヤの写真、意味ありげに撮られておりますが、これも何があったのか分かりません。タイヤがパンクして困った、という楽しい思い出があるなら、何らかの記憶に残ってたりメモを取ってたりしそうなもんだけど。ただ、あらためて3枚のうちの1枚目を見ると、運転手さん?らしき人がタイヤを見てますね。てことはやっぱりタイヤに異常が出たのだろうか。

下車してます 身体を動かすChinese 残されたタイヤの写真

 謎は残りますが、丘陵地帯と書いた写真が撮られたのが12時20分、下車した写真が12時23分。体や写真が12時25分。続く車中からの写真が12時36分なので、10分程度しか止まっていないことになります。となると、少なくともパンクではないでしょうね。

ザ・イギリスな風景
12時36分撮影
遠くに見えるものが
気になったのだと思う
(多分ゴルフ場です)
前方に海 駐車場と、前方に気になる島

 そして、いよいよ次のストップ。

9.3 Carrick-a-rede Ropebridge

 続いてのメモ、
- かつては島にサーモンステーションを作ったが、取り尽くして放棄。ナショナルトラストが入って整備
についてもどの島のことか謎でしたが、もしかしたら次のCarrick-a-rede Ropebridgeで繋がっている島のことかもしれないな。今Carrick-a-rede RopebridgeのWikipediaを見たら、salmon fishmanがどうたらこうたらという文字が目に入ってきたし。
 というわけで、次に行きます。

 またも出てきた、"Carrick"という謎の単語。こういうのこそChat GPTの出番だ。行けチャッピー
The element “Carrick” in place names like Carrick-a-Rede and Causeway/Carrickfergus comes from the Irish / Gaelic word carraig, which means:

rock or rocky place

It originally meant a rock, crag, cliff, or rocky outcrop.
So in these place names:
ということです。なるほど、岩か。それならこの単語が複数出てくるのも分かる。さすが、AIはこういう話題には強い。

 そんなこんなで、Carrick-a-rede Ropebridge。吊り橋のことを英語ではRopebridgeというのですな。そして、あらためてCarrick-a-rede RopebridgeのWikipediaを見てみます。
 読んでいると、2017年に一度何者かに破壊されたようです。自分が行ってから約1年後か。すぐに修復されたようだけれど、一歩間違ってたら(北アイルランドの諸々の政治的背景があったりしたら)二度とわたれなくなってた可能性とかもありそうだな。

多分橋を渡るために渡されたチケットだと思う 多分漁師が使っていた船のレプリカ
諸々の解説板
 では、このまわりで撮った写真など。
チケットチェック 崖方向を眺める バスから見えたのは
ゴルフ場でした
崖の様子 歩いて橋へ向かいます
 そして、橋を渡ります。吊り橋ですが、比較的短く安全度も高いです。
橋へ 橋を見下ろす
橋のたもとから崖を見る 橋を渡るChinese 渡りきってから橋を見る
 そして、景色を眺めつつしばし楽しみます。
陸地側からぐるっと
橋を越えてさらにぐるりと 見下ろす
島の先 見下ろすと船着き場 島の中をうろつきます 陸地には人の行列が
さらに先の島 下まで降りる人 島の様子 3人で記念撮影 ほかの観光客の写真を撮るインド人
インド人が中国人を突き落とそうとしている図 どこでも電話をするインド人
あらためて陸地側を見る 見下ろす
起伏に富んだ島と島からの眺め 歩きスマホなインド人
再び吊り橋へ 再び下を撮る 吊り橋を渡るインド人
吊り橋効果で我々の仲もバッチリです
 はい、そんなわけで橋を渡って陸地に戻ってきました。まあ島という意味では陸地扱いしてるアイルランド島もその名の通り島なのだけど。
あらためて、吊り橋 丁度誰も渡ってないタイミング 吊り橋と島 最後に島を見て行く

 吊り橋を渡ったり起伏のある道を歩いたりと、アトラクションとして充分楽しめました。1人旅と違ってわちゃわちゃ橋を渡るのも良いですね。 吊り橋効果で、我々3人の中も深まったと思います。アジアの平和は日印中が守るのであります。岸田さんは各国首脳を広島に呼びましたが、高市さんは是非各国首脳をかずら橋かどこかに呼びましょう。